2017年11月06日

秋田美人に応援されて頑張れました

秋田と言うとあきたこまちを代表とする美味しい所、美味しいお酒、そして秋田美人、雪国かまくらを想像します。
秋田_かまくら.jpg

雪国の秋田は、ラグビーが盛んです。秋田工業高校は、全国高等学校ラグビーフットボール大会で最多優勝を誇る名門校です。雪国ならではの足腰の強さと粘り腰で強いフォワードが特徴です。

秋田工業高校ラグビー部の歴史
大正14(1925)年同好会発足
昭和4(1929)年初出場一回戦敗退
昭和5(1930)年一回戦敗退
昭和6(1931)年初勝利準決勝敗退
昭和7(1932)年一回戦敗退
昭和8(1933)年初優勝🏆
昭和9(1934)年一回戦敗退
昭和10(1935)年二回戦敗退
昭和11(1936)年一回戦敗退
昭和12(1937)年優勝🏆
昭和13(1938)年準優勝
昭和14(1939)年準優勝
昭和15(1940)年一回戦敗退
昭和18(1943)年中止
昭和19(1944)年中止
昭和20(1945)年中止
昭和21(1946)年一回戦敗退
昭和22(1947)年優勝🏆
昭和23(1948)年優勝🏆
昭和24(1949)年優勝🏆
昭和25(1950)年準優勝
昭和26(1951)年優勝🏆
昭和27(1952)年優勝🏆
昭和28(1953)年一回戦敗退
昭和29(1954)年準優勝
昭和30(1955)年優勝🏆
昭和31(1956)年優勝🏆
昭和32(1958)年二回戦敗退
昭和33(1958)年優勝🏆
昭和34(1959)年準決勝敗退
昭和35(1960)年優勝🏆
昭和36(1961)年準決勝敗退
昭和37(1962)年県予選準決勝敗退
昭和38(1963)年準々決勝敗退
昭和39(1964)年優勝🏆
昭和40(1965)年二回戦敗退
昭和41(1966)年県予選決勝敗退
昭和42(1967)年県予選準決勝敗退
昭和43(1968)年優勝🏆
昭和44(1969)年一回戦敗退
昭和45(1970)年県予選決勝敗退
昭和46(1971)年県予選敗退
昭和47(1972)年準々決勝敗退
昭和48(1973)年二回戦敗退
昭和49(1974)年準決勝敗退
昭和50(1975)年一回戦敗退
昭和51(1976)年県予選敗退
昭和52(1977)年準優勝
昭和53(1978)年準々決勝敗退
昭和54(1979)年準々決勝敗退
昭和55(1980)年準々決勝敗退
昭和56(1981)年準優勝
昭和57(1982)年準決勝敗退
昭和58(1983)年準々決勝敗退
昭和59(1984)年優勝🏆
昭和60(1985)年準々決勝敗退
昭和61(1986)年三回戦敗退
昭和62(1987)年優勝🏆
昭和63(1988)年県予選決勝敗退
平成元(1989)年三回戦敗退
平成2(1990)年準々決勝敗退
平成3(1991)年準々決勝敗退
平成4(1992)年県予選決勝敗退
平成5(1993)年三回戦敗退
平成6(1994)年県予選決勝敗退
平成7(1995)年準優勝
平成8(1996)年三回戦敗退
平成9(1997)年県予選決勝敗退
平成10(1998)年準々決勝敗退
平成11(1999)年準々決勝敗退
平成12(2000)年三回戦敗退
平成13(2001)年二回戦敗退
平成14(2002)年三回戦敗退
平成15(2003)年県予選決勝敗退
平成16(2004)年二回戦敗退
平成17(2005)年三回戦敗退
平成18(2006)年県予選決勝敗退
平成19(2007)年県予選決勝敗退
平成20(2008)年県予選準決勝敗退
平成21(2009)年一回戦敗退
平成22(2010)年三回戦敗退
平成23(2011)年県予選決勝敗退
平成24(2012)年準々決勝敗退
平成25(2013)年準々決勝敗退
平成26(2014)年県予選決勝敗退
平成27(2015)年県予選決勝敗退
平成28(2016)年二回戦敗退
平成29(2017)年三回戦敗退(優勝校に引き分け)
全国優勝🏆15回
OB会ホームページ
県立工業高校の活躍を願っています。

数々の有名な日本代表の選手を輩出しています。秋田では運動神経の一番良い人がラグビーをすると言う伝統がありました。素質のあるプレーヤーが雪国で足腰を鍛えられて、成長して行きます。
元サントリー監督の土田雅人さん、
元日本代表ゼネラルマネージャーの太田治さん、
元新日鉄釜石ラグビー部、現釜石シーウェーブスのゼネラルマネージャーの桜庭吉彦さん、
前明治大学監督の吉田義人さん ほか
ラグビー部では無いですが、元プロ野球の落合博満さんもOBです。
秋田_秋田工高.jpg

高校の運動部としては、能代工業高校バスケットボール部も有名です。身体が大きくて運動神経抜群の子供がラグビーだけでなく、バスケットボールなどの他のスポーツをする様になり多様化して行きました。

秋田のラグビーの聖地は、秋田市内にある八橋運動公園の陸上競技場です。

社会人ラグビーの名門、秋田市役所に試合をお願いし遠征に行き、ここ八橋運動公園の陸上競技場でゲームをしました。私の所属していた社会人チームにも秋田出身のプレーヤーが沢山いて、凱旋帰国です。秋田市役所のメンバーも地元のプレーヤーばかりで、同窓会みたいな感じでした。
*秋田市役所はクラブチーム化して秋田ノーザンブレッツとして活動しています。ホームページ

ゲームとなれば、先輩後輩、幼馴染であろうとも全力でプレーするのが礼儀。一度目は完敗、しかし二度目は圧倒して勝利することが出来ました。高校の大会の試合の後に試合を組んで貰ったので、観客が多い中でのゲームでした。
秋田_なまはげ.jpg
社会人ラグビーで学卒の有力な新人を採用して強化するチームが流行っていた時代だったので、地元のラグビー・ファンの観客の中には、学卒がいっぱいいるチームなんだろう。と言う声も聞こえてきました。当時、学卒は一学年下のプレーヤーが一人いただけの高卒ラガーメンのチームでした。少し鼻が高かったです。

何より嬉しかったのは、親や家族が応援に来てくれて、大きな声で声援を送ってくれたことです。息子の成長した姿を見せられたことが、良い親孝行になったことと思います。差し入れも沢山頂きました。秋田美人のお母さんの大きな声援を聞くと、やらねばならね気持ちになる気がしました。

秋田八橋運動公園には、球技専用のスタジアム(現在、あきぎんスタジアム)と陸上競技場があります。ラグビー、サッカーの試合は、あきぎんスタジアムで行われることが多いです。

秋田八橋運動公園陸上競技場
 昭和16(1941)年開場、観客収容数は約2万人
秋田八橋運動公園あきぎんスタジアム

 昭和28(1953)年開場、観客収容数は約5千人
➤じゃらんであきぎんスタジアムを探す
秋田_あきぎんスタジアム.jpg

遠征は前泊して、岩手に移動したり、試合後に宿泊して、宮城に移動しました。秋田に泊まる時は、地元の人は実家に宿泊し、束の間の里帰りをする人が多かったです。

秋田には美味しい食材があります。美味しい日本酒と一緒に味わって下さい。
はたはた
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夜の繁華街は川反があります。
秋田川反周辺の宿じゃらんで探す

締めのラーメンで美味しかったのが、秋田駅近くの末廣です。色が濃くてしょっぱそうなスープでしたが、飲んでみると、薄味でさっぱりとしていました。24時間営業で、朝ラーメンも人気があるそうです。


秋に行った時に、美味しい食を尋ねると、と教えてくれました。駅員さんや、地元の人に尋ねても、皆してと言います。が美味しいのは判るのですが、お酒のつまみやご飯のおかずにはならないだろうなと不思議に思っていましたが、秋田名物のきりたんぽです。収穫の秋に新で作ったきりたんぽは美味しいです。
秋田_きりたんぽ.jpg

寒い日には、あつあつのきりたんぽ鍋が美味しく、心も身体も温まります。秋田産比内地鶏のスープの醤油仕立てに秋田産のまいたけがシコシコとアクセントになります。もっちりとしたきりたんぽをフーフーとほうばります。冷たいビールで口の中を冷やすのも良いですが、やはり秋田の地酒を冷やでやるのがたまりません。
秋田_きりたんぽ鍋.jpg
➤お
きりたんぽ
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が美味しく、水がキレイで、寒さできめ細かい、もっちりとした色白で、温泉が多いので肌がつるつる、背が高い人が多いお国柄で美人が多いと言われています。秋田弁はフランス語に似ているとも秋田出身の人は喋っていました。
秋田美人.jpg

雪国ですが、夏は東北三大祭りの一つ、竿灯祭りが有名です。他に、青森のねぶた祭り、宮城の七夕祭り。

秋田出身の後輩が年末年始の初日の出の暴走族のニュースを見て、秋田だと冬はバイクで走れないのにと驚いていました。

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posted by RUGBY ALL OUT大好き at 17:39| Comment(0) | 社会人ラグビー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

北の鉄人、新日鉄釜石、松倉グラウンド

北の鉄人こと新日鉄釜石の黒鉄のラガーたちがいる松倉グラウンドに行きました。1992年(平成4年)に会社のラグビー部が練習試合で釜石に胸を借りました。

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当時JRが1人1万5千円で3日間、新幹線も自由席なら乗り放題の切符があり利用して行きました。釜石出身者もいましたから、凱旋帰国です。釜石出身者の紹介で陸中山田駅前の民宿に前泊をしました。釜石地図.jpg
グーグル・マップ

先輩の父が漁師をやっていて、捕れたての蛸を差し入れて貰って、とても美味しく頂いたのを覚えています。当日の朝は皆で市場とか散歩をして、朝食後に松倉グラウンドに向かいました。

釜石駅からタクシーに分乗して行きました。タクシーの運ちゃんに行先を告げると、どこのチームか?と尋ねられたので、チーム名を名乗ると、聞いたことが無かったのでしょう。「最近は釜鉄も弱くなったからなぁ」と言っていました。地元では釜石と呼ばずに釜鉄と呼んでいるんだなぁと知りました。(確かに釜石だと皆、何処もかしこも釜石ですからね。)



テレビで見たことのある新日鉄釜石の松倉グラウンドに到着しました。感激で胸一杯です。

陸上競技部と一緒の部室の二階の畳張りの大広間で着替えをして試合です。

グラウンドは当時は土で乾燥していてカチカチだったので、スパイクのポイントが刺さらない位でした。グラウンドに出てランパスとかをして身体をほぐしていると、撤去命令が出て、グラウンド外に退去しました。スプリンクラーが地面から出て来て水撒きです。さすが新日鉄と驚きました。

試合はあれよあれよと言う間にトライを重ねられ、必死に攻めるもボールがつながらず、2トライを帰すのが精一杯で五十数点対十何点(5x - 1x)位だったと記憶しています。

地元や盛岡、北上、秋田の出身者のご両親やご家族、お友達などが沢山、応援に来てくれました。差し入れも沢山頂戴しました。

僅かな滞在時間でしたが、忘れられない想い出となりました。釜鉄.jpg

かつては新日鐵の施設だった松倉グラウンドは、現在は芝が植えられて釜石市の球技場となっています。



新日鉄は溶鉱炉が1989年(平成元年)に休止してラグビー部は2000年(平成11年)に当時の東日本では最上位の東日本リーグから降格してしまい、新日鐵のスポーツ事業の見直しにより支援が縮小し、クラブチーム化して地元釜石の人達に支えられて釜石シーウェイブスとして現在に至っています。

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2012年(平成24年)に新日鐵は、新日鐵住金となりました。

RWC(ラグビー・ワールドカップ)2019の開催地になった釜石を引き続き応援して行きます。
釜石の記事へ

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posted by RUGBY ALL OUT大好き at 09:19| Comment(0) | 社会人ラグビー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

駒沢オリンピック公園 陸上競技場

1996年(平成8年)度の東日本リーグで最下位となってしまった新日鉄釜石の入れ替え戦の応援で行きました。当時はまだトップリーグ発足前で関東・東北の最強リーグが東日本リーグでした。秋田市役所の挑戦を受けました。

試合は、釜石

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がフォワードでは押されて劣勢だが、展開力で勝り、試合は優位に進める展開。釜石が得点をする度に大きく揺れる大漁旗。

それでもスクラムでプレッシャーを受けてしまっている釜石は、後半も終盤を迎え、何と監督の高橋 善幸が3番プロップで交代出場(代打、俺 みたいです)、それまで押されていたスクラムがピタッと止まりました。

感動と驚いたのと、その場で観られて良かったなとつくづく思いました。大漁旗が大きく揺れる姿を観て、大漁旗.jpgラグビーを始めた高校生の頃にテレビや国立競技場で観た光景が規模はめっきり小さくなってしまいましたが、その中に一緒にいられて、とても幸せで感激でした。


チケット購入はこちら


前後しますが、もう一試合の東日本リーグ残留を賭けたリコーは、対戦相手は忘れてしまいましたがノーサイド直前まで負けていて、降格かと思われた最後の1プレーでNo.8の大内が自陣からボールを持って走り切ってトライと言う大逆転劇を演じた感動的な試合でした。



この時は有料試合で大人500円位だったと思います。駐車場は駒沢公園の有料駐車場を利用し競技場での食べ物の販売は無く、近くのコンビニでお弁当と飲み物を買って行きました。

si ouxさん(@si_oux)がシェアした投稿 -


駒沢公園.jpg
グーグル・マップ


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posted by RUGBY ALL OUT大好き at 08:52| Comment(0) | 社会人ラグビー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする